August 25, 2019

ラダック再訪。(1)



 もう20年以上も昔、修士課程を終えた記念にインドを旅行してからその魅力を覚え、幾度となく彼の地を訪れています。ジャンムー・カシミール州、ラダック地方も2001年8月に行っているのですが、2019年8月、ラダックに山岳トレッキングに行くという友人に誘われて再度出かけてみました。本格的な山岳トレッキングは僕の燃費の悪い大柄の体躯には荷が重いので、そこは適当に勘弁してもらいつつですけどね。


 最寄りの空港はレー。デリーからLCCで1時間程度で意外と近い。昨今はインドもLCCの航空網が発展して、どこも行きやすくなりました。今回は空港からさらに車で1時間弱、レーの街からインダス川を挟んだ対岸のストク村に宿泊です。インダスを渡るメインの橋が壊れてしまって使えないとかで回り道、レーからはいつもより少し余計に時間がかかるみたいです。
 このページの一番上の写真はストクの村の遠景。背後に見える雪山はストク・カングリ(標高6,154m)。ストク村(標高3,500m強)でも空気薄くてそれなりに大変なのに、みなさんあんなところまで登りに行くんですよ。



 今回泊めていただいたのはNyamushan House Homestay。ラダックの男性と結婚して現地に移り住んだ池田悦子さんが子育てしながら切り盛りしていらっしゃる民宿っぽいお宿です。聞けば住む人がいなくなってた旦那の実家を改装した建物だそうで。地域で最も古い民家のひとつだそうです。

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 東京暮らしは嫌いではないし、今の仕事もそれなりに納得してやっている。時々は友達と外食に出かけ、美味しいお酒など楽しむ。それはそれでいいんですけど、その繰り返しも長くなると、なにかどこか、思考が硬直してくる気がします。こんなんでよかったんだっけ?
 時には日常を離れ、自分の生活を俯瞰する時間が必要なようで、それが僕にとっての旅行の意味でした。インドはその旅先としてうってつけ、もう数えるのはやめましたが、10回以上は来ているはずです。


 初日はまだ薄い空気に体が慣れず、ずっと心臓がバクバクしている状態なので、村の中の旧王宮までゆっくりゆっくり散歩。東京の自宅を出てからまともに寝てない寝不足状態もあって、けっこう息が切れます。自分が老人になったときの疑似体験をしているようでした。
 ストクの王宮は19世紀に建てられ、ラダックの王家の住まいだったところだそうです。今はインダス川の対岸のレー市街を見晴らすことができる博物館になっていました。

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 翌日はレーの市街へ。空港も近く、この地域で一番の街です。前回訪れたのは18年も前ですが、来てみるとなんとなく思い出すところがあります。もちろん、開発も進んでいて建物も増えているんですが、「たしかこっちに抜け道があった」「当時からここに観光客向けのレストランがあってビールが飲めた」「ここは建築中だったけど、18年経ってまだ建築中なの?」「あの時泊まった宿はこの道の先の左手だった」と記憶がよみがえります。


 18年前は一人旅でした。上京してから数年経って、でも当時も「こんなんじゃないはずだ」と模索の日々で、都内でまた別の大学院に入り直していろいろとめんどくさいことを考えている頃だったはずです。
 一人旅だったけど、車をシェアしたり、同宿だったり、レーから一緒に遠出したりした旅の道連れがいて、実質は一人ではありませんでした。あの時お茶を飲みながらいろんな話を聞かせてくれたオーストリアの女医さん、もう名前も覚えていませんが、ダラムサラでボランティアで医療活動をしてて、ラダックの僧院を巡った後はアムリトサルの黄金寺院を見に行くとおっしゃってましたっけ。「そこは千夜一夜のようなところで、きっと人生も千夜一夜のようなものよ」と微笑みながら、出会った記念にとマニ車のペンダントヘッドを僕にくれました。


 そのペンダントヘッドは、今、まだ僕の手元にあります。あの時から、夜の数は千回を超えましたね。みんなどこで何をしてるのかなあ。

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 そろそろ高地にも慣れてきたところで、レーから120kmほどのところにあるLamayuruの僧院(ゴンパ)へ。18年前は砂利道だった道路はすっかりきれいに舗装されていて、途中休憩を取りながら行っても片道4時間はかからないです。


 途中、ザンスカール川とインダス川の合流地点を通ります。川の水は今は茶色だけど、冬には緑色になるそうです。




 Lamayuruのゴンパ。この地域の総本山みたいな僧院です。盛んに建築、増築が進んでいましたが、「今は僧は150人くらいしか住んでないよ。」とのこと。

 レーにはレンタルバイク屋がたくさんあって、ラダックのツーリングも気軽に楽しめそうなんですが、18年前にはまだレンタルバイク屋はありませんでした。でも、もぐりでバイクを貸してくれる人はいて、僕はそれでLamayuruまで来ようとして、でも途中でバイク壊しちゃったんでした。雑にギアチェンジしてクラッチパネルを割ったんです。あの頃キミは若かった。あの時、砂利道をバイクを押して歩いた記憶があるので、この道が舗装されていなかったのは確かです。
 それであの日、なんだかんだあってLamayuruの少し手前のKhaltseの村に一泊することになって。同宿のおじさんと一緒に晩飯食べて、片言の英語で家族の話、宗教の話、インドと日本の話などしたんだっけ。「日本に帰ったら、キミの"inner spirit"を書いてよこしなさい。」そう言っておじさんは僕のノートに自分の名前と住所を書いたんです。
 翌日、宿を出ようとしたら、僕の宿代と飯代はそのおじさんによって支払済でした。すいません、18年経ちましたが、まだお礼も言えてないし、"inner spirit"も書いてません。

 今回はLamayuruの帰り途、Khaltse村でドライバーくんとガイドくんとチャイを飲みながら、そんなことを思い出していました。




(長くなりそうなので一旦ここまで。後編に続きます。)

July 14, 2019

モビリティ。


 この「東京トヨタ渋谷店」、前に通った時には外壁に足場を組んで作業中だったんですけど、出来上がってました。

 ああ、やっぱり。そうだよね。「トヨタモビリティ東京」。 

 カーシェア、コネクテッドカー、自動運転車と車を取り巻く環境は急速に変化しており、「車」の概念さえ変化しそうなこのご時世、トヨタのような会社がその先を見てないはずがない。

 そもそも「車」は何のためにあるのか。人や物をある地点から別の地点に移動させるためです。

 逆に言えば、「人や物をある地点から別の地点に移動させる」ことができれば、なにも今の「車」にこだわる必要はない。

 そう、「車」の概念さえ変化しそうなな時代にあって、自動車メーカーが今のまま「車」を作ってればよいという日々は早かれ遅かれ終わる。

 だから、トヨタは「自動車メーカー」から「移動〜モビリティ〜」を提供する会社と自己定義を変えようとしているに違いない。


July 10, 2019

選挙制度の話。

 現与党の安定多数の議会に不満な人が「与党に投票していない人は80%もいる!なのに議会で多数派!おかしい!」みたいな批判をしているのを見ててモヤモヤする。与党に批判的なことはいいんですけど、その批判の仕方としてこれは筋悪じゃないですか。

 そういう批判をする人は、棄権した人たちがもし投票していれば野党に投票していたはずだという根拠なき自信を持っているところから変なんですが、それを横に置いたとしても、やっぱり考えが浅くないですかねえ。

 たとえばですね、各党の得票数の割合と議席数の割合を一致させるとすると、完全比例代表制ということになるわけですが、これも問題でしょうと。仮に国民の1%の支持がある政党があれば、定員500議席の議会では5議席取れる。こんな調子で、数人、数十人の勢力の小党が乱立すると、意思決定できない議会ができてしまうんじゃないでしょうか。政治はどこかの時点で「決めること」が求められますが、数人、数十人の党がわちゃわちゃしてたら、なかなか物事は決められない。それは困る。迅速性に欠ける。

 んなもんですから、比例代表制ながら足切り制度を導入している国もあるそうですよ。たとえば、有効投票数の5%以下しか得票していない政党には議席は与えないとか。泡沫政党や無所属議員を排除してしまうんですね。なるほど。

 しかしその完全比例代表制はなんだかなあということで、その対極にあるのが多数代表制というか小選挙区制ですよね。「決められる政治」を目指すなら、少しでも得票の多い方の党の主張に沿うのが民主的であるから、各選挙区に議席は1つずつにして、そこで一番たくさん得票した人に議席を与えましょうという考え方。

 これであれば「決められる政治」が生まれやすい。世論の支持が他よりちょっとでも多い方の党がごそっと議席を取るので。

 が、これはこれで問題です。そのときそのときの世論の風で各党の獲得議席数が大きく振れがちで政治の連続性、安定性に欠けるかも。また、自分の投票した候補が当選しない、死票が多くなることも悲しい。

 では、というのでその昔、日本でもやっていた中選挙区制なんていうのもある。1つの選挙区に3議席、4議席とかを割り振る制度。これだと比例代表制と小選挙区制の間くらいになるかと思われるのだけど、またこれはこれで問題がある。かつての日本の場合、3議席なら自民、社会、公明、4議席なら自民、社会、公明、共産、みたいに固定してしまう。与党に逆風が吹いてその支持が落ちても、ただ得票数の順番が「自民、社会、公明」から「社会、自民、公明」になるだけで各党の議席数があんまり変わらなかったりする。この硬直性は問題なのではないかと。世論の動向に鈍感でいいのかと。

 それで政権交代が可能な制度として、日本でも小選挙区制が導入されるようになったんじゃなかったっけ。ただ、小選挙区制一本でいくのもまた不安定だから、小選挙区比例代表並立制なんていうハイブリッドなシステムを作ってみたりして。

 どんな選挙制度にも一長一短あるんだと思う。「決められる政治」「安定した政治」「世論の動きに敏感な政治」。バランスよく、かつ公平公正にしなくてはならないので、選挙制度は試行錯誤。他にも、一票の格差の問題とか選挙区割りの問題とか、考慮しなくてはならないことはいろいろあるし。

 日本の選挙制度がすばらしいというつもりはないですけど、一応そういう工夫の積み重ねで今の制度があることには間違いないし、幸い不正も少ない。世の中には、議席の半分を軍が取るとか、議席の半分を大統領が指名するとかいう制度の国だってあって、そういうのに比べたらマシな気がする。

 そうやって工夫を積み重ねて作ったルールの上で、選挙というゲームをやっているわけでしょう。公になっている、みんなが知ることができるルールがあって、そのルールに従って戦って、勝ったところが政権を取るのは当たり前じゃないですかね。

「与党に投票していない人は80%もいる!」と批判したところでなんら説得力はないじゃん。そういうルールなんだから。

January 25, 2019

アフロ・ジャズ



 Oliver Mtukudziが亡くなった。享年66歳。

 といってもほとんどの日本人は彼を知らないだろう。僕も詳しくは知らない。 

 「有名なミュージシャンだよ。」

 そう誘われてコンサートに行ったんです。日もすっかり落ちたハラレ市内の屋外ステージ、盛り上がってました。それでなんとなく、CD買って帰ってきたんです。

 ギター、ドラムにシンセサイザーの電子音。土着の音楽に根差した反復の多いメロディライン。正直、そこまで凝った作りの楽曲ではない。歌詞は一部英語だけど、ほとんどショナ語で意味分からないし。「アフロ・ジャズ」と言うそうな。

 それでも、聞き直す度に、あれが僕にとってのアフリカのリズムだったなあと郷愁を掻き立てられるのです。

 肩の力の抜けた、人懐っこい人々。だだっ広くて埃っぽい大地。それをそのまま写したような音楽を作る人でした。

 今日はジンバブエや南アフリカのメディアだけでなく、イギリスBBCもその死を悼む報を流しています。

 まあ、ムガベ大統領時代の世相をおちょくるような歌を唄ったり、unicefに楽曲で協力したりもしてたみたいですけどね。

 https://itunes.apple.com/jp/album/wonai/1206939787

 ご冥福をお祈りして、今日はこのアルバムを聞きながら南アフリカのワインを一杯。